零の黎明 ……前編


2005.6執筆




(神子は私が人ではないと知らぬのだから仕方がないのだ)
 そう思えば納得できるはずだと思っていた。だが何故かあの神子の言葉は泰明の心に刺さる楔となり、ちくちくと痛みを与えていた。
 風の通らぬ塗籠に一人座り、考える。
(何故だ? 何故こんなにも神子の言葉に痛みを感じる? 他の誰に『化け物だ』『人ではないようだ』と言われても平気でいられるのに)
 精神を集中し、塗籠の静寂に身を溶け込ませようとする。何の事はない。いつもやっている瞑想ではないか。なのに―――神子の言葉が頭から離れない。

「―――泰明?」
 いつの間にやら戸が開けられ、そこに立っていたのは師。
 普段の泰明ならば足音や気配から他人が近づいてくることが察知できるのだが―――今日はまったくといっていいほど気が付かなかった。そんな自分に軽い驚きを覚える。
 私は、壊れてしまったのか―――?
「声を掛けられるまで私がきたことに気が付かぬとは、珍しいな。よほど深く考え事でもしていたのか」
 師の言葉に図星を指され、頷こうかどうか一瞬迷った泰明だったが、師の次の言葉に今までの考えも吹き飛ぶ。
「今、土御門より急使が参った。龍神の神子が行方不明だという」
「!」
「八葉のうち誰かが供についてはいないか、と…」
「神子が……」
 ふと、気づく。今までいつも感じられていた神子の気がまったく感じられないことに。
「神子の気が…感じられぬ……」
 胸がむかむかする。妙に落ち着かない。何かを――失ってしまったような。
 今まで当然のように感じていた暖かな神子の気配。それがなくなっただけでこんなにも―――

 ―――――――――これは、不安?

「師匠、土御門へ参る」
 いつものように告げ、泰明は駆け出した。
(神子がいなくなった。おそらく行き先は―――)
 泰明には心当りがあった。彼自身も、しばらくしたら向かう予定だった場所―――おそらく神子はそこにいる。
(―――寒い)
 この寒さは、まもなく日が落ちようとしていることに起因するものではない。
 この寒さが神子の気を感じられないが故のものだと、今の泰明は気がついていなかった。

*―*―*―*―*―*―*―*―*

「誰かあかねの行き先に心当たりはねぇのかよ!」
 土御門に集まった、泰明を除く八葉と藤姫は渋面のまま頭を突き合わせていた。
「天真先輩、落ち着いて…」
 立ち上がり、一同に苛立ちをぶつける天真を、詩紋が必死で落ち着けようとする。
「詩紋の言うとおりだ。今にでも飛び出して神子を探しに行きたいのは、何も君だけではない」
「だったらっ!」
 心配している、とはいっているもののいつもと変らぬ涼しげな顔を浮かべる友雅。その表情が天真の感情を逆なでするのを本人はわかってやっているのかもしれない。
「もう、日が暮れる。闇雲に京を探すよりも、一番最後に神子殿と共にお出かけになった泰明殿に心当たりを問うてからのほうがいいのは天真、お前もわかるだろう」
「そうですね、泰明殿は神子の気を感じ取ることができるようですし…」
 相変わらず庭に控える頼久と、永泉の隣に座る鷹通も必死に神子を探しにいきたい衝動を我慢しているようだ。
「…申し訳ありません…私がきちんと、ご帰宅された神子様とご一緒していれば…」
「いや、藤姫のせいじゃねぇよ。四六時中あかねを見張っているなんてできるはずねぇんだからな」
 場の雰囲気にさらに自己嫌悪の色濃くなった藤姫は、今にも泣き出しそうだ。その睫から涙の雫を滴らせそうな藤姫の言葉に、天真も気がそがれて少し落ち着きを取り戻しかけた。
「藤姫、そんなに自分を責めないでくださいね…」
 永泉がやさしく藤姫を慰める。少しでも皆が落ち着けば…と笛を取り出しかけたその時、走るような足音が近づいてきた。皆、何事かと渡殿を見やる。
「泰明殿……」
 最後の一人―――皆の待ち人でもある泰明が、こちらへと急ぎ足で向かってきていた。
「遅ぇんだよ! 泰明、てめぇ今日あかねと二人で出かけたんだろ? あかねの行き先に心当たりはねぇのか!」
 泰明が言葉を発するのももどかしく、天真は彼の胸倉を掴みあげる。しかし泰明はびくともせず、ちらりとも顔色を変えずに天真を、そして集まっている皆を見回した。
「ある」
「!」
 誰も予想はしていなかったのだろう。いい意味で予想外の言葉に天真は胸倉を掴む手を緩め、詩紋とイノリは腰を浮かせる。鷹通と藤姫は大きく目を見開き、その口からは今にも「どこですか!?」という叫びが飛び出そうだ。いつものように庭に控えていた頼久は思わず室内に飛びいりそうになり、永泉は取り出しかけていた笛を取り落とした。友雅は「ほう」と呟き、鋭く目を細める。
「ぜひとも、その心当たりとやらをお教えいただきたいものだね」
 ぱちん、と音を立てて閉じられた友雅の扇。
 泰明は珍しく迷っている自分に気がついていた。
(すべてを話してしまうべきだろうか―――神子のあの言葉も)
 迷いを取り払えぬ自分に不安を隠せぬまま、泰明は口を開いた。このまま黙って一人だけで神子の元へ向かおうものなら、皆納得しないだろう。
「神子は、おそらく河原院にいる」
「河原院? なんだってそんなところにあいつは一人で…」
「昼間、私と共に行った」
「だから、どうしてそこに一人で行く必要があるんだよ! 藤姫の館には俺も頼久も詩紋もいたんだぜ!?」
 要領を得ない、簡潔すぎる泰明の答えにいらいらしてきた天真は、再び泰明の胸倉を締め上げる。
「天真殿、落ち着いてください。神子殿はなにか一人で行かねばならぬ理由がおありだったのでしょう」
「天真先輩、落ち着いて。泰明さんの話を聞いてみよう? これじゃ話せるものも話せないよ」
 鷹通と詩紋に諌められ、天真はケッと呟いて乱暴に手を離した。
(こんなときにも涼しい顔してやがる…こいつ、あかねのことが心配じゃねーのか?)
 天真はフンと鼻を鳴らし、部屋の隅にどかりと座り込んだ。
「早く話せよ、泰明。あかねは無事なんだろーな?」
 天真と同じく睨み据えるようなイノリに泰明が返したのは一言。
「わからぬ」
 これには一同騒然とせずにはいられない。泰明はそんな中もしっかり通るその声で淡々と事情を語り始めた。
「昼間、河原院で、泣いている男の怨霊と出会った。私は止めたのだが、神子がどうしてもと言い張り、その怨霊の身の上話を聞いてやった」
 語るごとに泰明の鼓動は激しさを増し、苦しくなるようだ。
「危害を加えるような危険な怨霊だったら即座に調伏する、という約束の上でのことだ」

 あの言葉が近づいてくるからか?
 私はあの言葉を思い出したくないのか?
 どうしたのだ、私は。こんなにも胸が苦しく、落ち着かない。
 こんなにも――――――不安?

*―*―*―*―*―*―*―*―*

 河原院の敷地に入ると、それがいることはすぐにわかった。
(怨霊―――あの木の下か)
 神子に断りを入れ、調伏してしまおう。今はただ佇むだけだが、このままではいつ害を及ぼさぬとも限らない。
 そう思い、後ろを歩いていたあかねを振り返った泰明。しかし当のあかねはするりと彼の隣をすり抜け、怨霊―――幽霊の男の立つ樹下へと駆けて行く。彼女にはあれが普通の人間の男性に見えているのだ。
「神子! まて! あれは怨霊だ!」
「え!? でも、あんなに悲しそうに泣いているんだよ? 何かしてあげられるかもしれないじゃない。怨霊か人かなんて関係ないよ」
 樹下の男は確かに涙していた。はらはらと落ちる男らしくない涙はとても神秘的で、何も知らぬ人間を惹きつけるのだろう。
 だが、泰明には彼が人間ではないことはわかっている。あの涙は人を惹きつける手口だ。涙で人の気を引き、害を及ぼす。
「怨霊に何をしてやるというのだ。怨霊は人に害を及ぼす。だから調伏する」
「まって、泰明さん!」
 今にも怨霊を調伏しにかかりそうな泰明の腕を掴み、あかねは必死に説得を試みようとした。
「無理矢理調伏された怨霊は救われるの? 何か心残りがあるからこうして現世に残っているのでしょう? 調伏するのはそれを聞いてあげてからでも遅くはないでしょ」
「神子、お前はこの京のすべての怨霊に情けをかけるつもりか。すべての怨霊の心残りを解消してやることができるのか」
「それは……」
 泰明の言うことは最もだ。この京にいるたくさんの怨霊すべての心残りを解消してあげてから調伏することなどできるはずはない。
「怨霊にはすでに、自分が現世に留まる理由など忘れてしまっているものも多い。近づいて神子、お前に害が及んだらどうする」
 きつい言い方だが、泰明の言葉は筋が通っているのだ。だが、目の前であんなにも悲しそうに泣いている人を(すでに亡くなっているとはいえ)放っておくことができないのがあかねの性分だ。引き下がれない。
「でも、もしも危険だったら、泰明さんが助けてくれるんでしょう?」
「…………」
 その言葉に、今度は泰明が黙り込む番だった。
 確かにあかねが危険にさらされたら、泰明はどんなことをしてでもどこにいても助けに行く。それが神子のための道具である自分の役目だ。主たる神子を護らずして、主に道具として使ってもらえるわけがない。
「……だが、それでは本末転と……神子!」
 泰明が言葉を返すのを最後まで聞かず、あかねは樹下の男の元へ駆け出してしまっている。泰明も、内心あきれつつ急いでその後を追った。男の怨霊があかねに何かしようとしたら即座に対応できるように、気を張るのも忘れない。
 風が吹きつけ、木の葉をさわっと揺らした。あかねの髪も泰明の髪も、その風に乗ってさわさわと流れた。

「そうなんだ…貴方は恋人を探しているの……」
 男のそばに立ち、あかねは悲しげに瞳を曇らせている。
 どうやら男は生前はそこそこ位のある貴族の子息で、町人の娘と身分違いの恋に落ちたのだという。いつもこの河原院の木の下で待ち合わせ、逢引していたのだが突然彼女の訪れが途絶えたらしい。
 男は何日も何日も、出仕もせずに河原院に通いつめたが彼女は姿を見せない。
 二人の関係が知れると問題になる―――おそらく無理やり別れさせられてしまうだろう―――との思いから、二人ともお互いの家を告げることはなかった。おおまかにどのあたり、ということはわかっていたが詳しい場所は伝え合わない。
 彼の人は、自分のことを嫌いになってしまったのだろうか―――。
 突然姿を消してしまった愛しい人―――いったい何が起こったのかわからず、一人虚無に投げ出されたような―――虚無を抱え込んだような苦しさ。
 二人の関係が周囲にばれてもいい。嫌われてしまったのならば本人の口から別れの言葉を聞けたほうがどんなにいいか―――。
 思いつめて極限に達した男は彼女の家を探しに行こうと決意した。
 だが、息子が何日も出仕していないと知った父親が家人に息子を探させ、男は父親の手の者に発見されて無理やり家につれて行かれそうになった。
 必死に必死に抵抗を続けた男は、家人に捕まったままぷつ、と糸が切れたように事切れてしまった。
 死してからも彼女を探しにいこうと思ったが、河原院の樹下への思い入れが強すぎて、地に縛られてしまい動くことができなくなった、というわけらしい。
「かわいそう…ねえ、泰明さん…」
「駄目だ」
「ぐっ…」
 あかねが何を言い出すか十分予想がついたので、泰明は先手を打つ。
「だって、泰明さんはかわいそうだと思わないの? その彼女を探して、どうして彼の元にこなくなったのか聞いてあげてもいいじゃない…」
「駄目だ。調伏する」
「いいじゃない、少しの間だけ。私が急いで彼女を探してくるから!」
 厳しい顔で譲らない泰明に、あかねはくいさがる。だが彼は頷く気配すら見せない。
「だって…」
 あかねはキッと意志の強い瞳で泰明の不ぞろいの瞳を捕らえた。

「大切な人の行方が知れないときの苦しさ、嫌われてしまったかもという不安。私だって心のある人間だから、辛いその気持ちわかるもん!」

「!!!」
 あかねのその言葉が泰明の心をえぐった。
 あかね自身は泰明を傷つけようとして言ったわけではない。
「だから、なんとか助けてあげたいの…」
 そう続けられた彼女の言葉は、泰明の耳を通り過ぎてていった。
 思考が停止した思いだ。
 まるで
           まるで

『心ある人間だったらわかるはずでしょう?』

 と言われたような。

 私が、人間ではないから…
 私が人形だからわからないのか……
 泰明は突然生じたその不可解な思いを振り切ろうと、激しく頭を振る。
 だが、消えない。
 何故だ…何だこれは…私はどうしてしまったのだ。
 胸の奥がじくじくと腐っていくようで、不快だ。

 神子の言葉が――――神子の言葉に囚われてしまった。

「泰明さん? 顔色悪いですよ?」
 急に顔色を無くして黙り込んだ泰明を、あかねが心配そうに覗き込んでいる。
「………帰るぞ」
 それだけ言うのが精一杯だった。
「え?」
 あかねはくるりときびすを返した泰明と樹下の男を見比べ、急いで泰明についていこうと足を動かす。
「あの…調伏しないんですか?」
「今日はしない。もう日が暮れる。神子を送っていく」
 確かに空を見上げれば、夕焼けへとその姿を変えていくところ。
 それでもあかねは樹下の男の彼女を探しに行きたい衝動に駆られたが、泰明がすたすたと河原院を出ようとしているので、急いであとに付き従った。

 藤姫の館への帰り道。
 泰明はいつも以上に無口だった。いつもならばあかねが話し掛ければ何らかの反応を見せてくれるのに、何を言っても反応が返ってこない。
 何か考え事をしているのだろうか…。
 怒らせてしまったのだろうか…。
 そんなあかねの心配に気がついた様子もなく、泰明はあかねを送り届けると早々に藤姫の館を去ったのだった。

 泰明にしてみれば、いつもと変わらない、平静を装っているつもりだったのだ。
 あかねが心配しているなどと思ってもいない。
 神子が明日、樹下の男の恋人を探しに出るなどと言い出さぬうちに、一度帰宅して師に報告を済ませてから今夜のうちに調伏しに行こう、そう考えていた。
 ただ、頭の半分以上を先ほどのあかねの言葉に支配されている。

 どうしてだ。
 なぜだ。
 私は壊れてしまったのか?

 私宅へと足を進めながら、泰明はそればかりを考えている。
 今ほど、自分が人間ではないということを実感したことはない。
 今ほど、自分が人間ではないということに――――――「傷ついた」ことはない―――。


『人間だったらわかるはずでしょう?』


  後編に続く




 

+――もどる――+