黄昏の炎

『それぞれの真実-Each Truth-巻ノ1』収録
1996.6発行



♪〜懐かしい夢はやがて 君の支えになってくれるよ〜
〜だから今はシレジアの銀世界に思いを馳せて お眠り〜
〜ヴェルダンの澄んだ湖を夢見てお眠り〜
〜君が目覚めて僕を見つめてくれる日を 僕は夢みてそばにいるよ〜
〜だからお眠り ナーガの光の元で〜
〜君がいつかファラの炎に導かれて 目覚めるまで〜♪



 ファラの血は、燃え盛る炎のごとき使命を持つ者と、暖炉で人々を暖める優しき炎を持つ者を作り出した。


「あにうえぇ、あにうえぇ…」
「どうしたんだ、アゼル?」
 少年は読んでいた本をテーブルの上に伏せ、しきりに自分を呼ぶ弟の方へ目をやる。当主として自分も学ばなければならないことが多々あり、忙しいはずなのにちっとも煩わしがる様子はない。
「ころんじゃったのぉ…」
「待ってろ、今手当てしてやるからな」
 泣きじゃくる七つ年下の弟を抱き上げ、少年は庭から部屋の中へと歩み入る。アゼルは少年にしっかりと抱きついている。少年は軽く微笑み、アゼルの頭を撫でる。
「あにうぇ、あにうえぇ…」
 メイドに手当てされながらも、アゼルはそばにいる少年を呼ぶ。少年はそんなアゼルの頭に手を乗せ、安心させようとした。
「大丈夫だ。僕はここにいるよ。手当てが終ったら、一緒に街に買い物に行こう」
「ほんと? やくそくだよ、あにうえ」
「アゼル様は、アルヴィス様がとても大好きなのですねぇ…」
 ぱっと咲いたアゼルの笑顔を見ながら、手当てをしているメイドが尋ねる。それにアゼルは満面の笑みで応えた。
「うんっ。あにうえだいすきだよ。ずっとぼくのそばにいてね?」
 少年はその弟の言葉に涙ぐみ、思わず弟をぎゅっと抱きしめる。
「うん、ずっとアゼルのそばにいるよ。だからアゼルも僕の傍にいてね。僕にはもう、アゼルしかいないのだから…」
 少年の悲痛なその言葉を聞き、傍にいたメイドも思わず涙ぐむ。何も知らないのは、まだ幼いアゼルだけなのだ。
 少年の母が出て行ったことも、アゼルの母親が少年の父親を奪ったことも、そして父親が呪いの言葉を残して世を去ったことも。
 アゼルは、たった七つで家を継がなければ、大人にならなければならなかった少年の、唯一の心の支えになっていた。



「ねえレックス、シグルド公子が兵を挙げたって知ってる?」
「ああ、グランベルにいて知らないわけないだろ」
 ドズル家の庭で、幼馴染のアゼルとレックスは昼下がりを寛いでいた。シグルドが兵を挙げた直後のことである。
「僕…シグルド様の軍に加わろうと思うんだけど…」
「言うと思った」
「えっ?」
 遠慮がちに切り出したアゼルの言葉でレックスは起き上がり、寝転んでいたアゼルの顔を覗き込む。
「ユングウィのエーディン公女」
「!」
 レックスの一言で、アゼルの顔は深紅に染まる。レックスは耐え切れなくて大笑いしだした。
「本当、お前ってわかりやすいのな」
「ち、違うよ。ぼ、僕は純粋に公子の力に…」
「ぶわーっか」
 レックスは、慌てて起き上がって言い訳をしようとするアゼルの鼻をつまむ。
「何年お前の幼馴染やっていると思うんだよ」
「…………」
「で、もうあの兄貴には言ったんだろうな?」
 レックスの当然の質問に、アゼルは急に真顔になる。そしてどこか辛そうに口を開く。
「…ううん、まだ…」
「黙って行く気か?」
「ん…言えないんだよ。兄上は僕が外に出るのをあまり好まないんだ。僕はまだ未熟者だし…絶対に反対すると思う。それに…なんだか最近の兄上はとっても怖いんだ。思い詰めていて、鬼気迫った様子でさ。きっと僕を憎んでいるんだよ。僕が鬱陶しいんだ…」
「はあ?」
 レックスは、アゼルのあまりに真剣な様子に、間抜けな声を出さずにいられなかった。
「誰が誰を憎んでいるって?」
「兄上が、僕を…」
 アゼルの答えにレックスは大きくため息をつく。どの角度から見ても、アゼルは勘違いをしているとしか思えないのだ。
「おまえなぁ、あの兄貴がどれだけお前を大事にしているのかわからないのか? 憎んでいるどころか、過保護すぎると思うぞ?」
「…そうかなぁ? でも兄上は、僕の母上が父上を取ってしまった事を恨んでいると思うんだ」
 アゼルはまだ納得できない。
「お前は一体いつの話をしているんだよ。第一それはお前に罪はないだろう? そのことでお前を恨んでいるとしたら、逆恨みもいいとこだぜ? 考えすぎだ。最近国王様のお身体の調子が悪いって言うから、そのせいで少しイライラしているんだぜ、きっと。アルヴィス卿は国王の片腕だからな」
「うん…そうだね…でも…」
 アゼルはレックスと向き合って、哀しそうな表情で口を開く。
「それとは別に、最近の兄上はなんだか人が変わってしまったような時があるんだ。いつも何かに追われ、何かを恐れるようにイライラしていて、夜もあまり眠れていないようだし…はっきりいって、僕は今の兄上がとても怖いんだよ。僕をみる目は昔と変わっていないように見えるんだけど…」



 その夜、アゼルはアルヴィスの書斎の前で立ち往生していた。扉からは薄く明かりが漏れているので、彼がまだ中にいることは間違いない。しんとした屋敷の中、物音一つしていない。
(どうしよう…明日の朝出発する約束してきちゃったから、今夜中に兄上に言っておかないと…)
 そう思って書斎まできたのだが、あと一歩のところでその一歩が踏み出せないのだ。
「ッ…くそうっ!」
「!」
 突然机を思い切り叩く音が聞こえ、アゼルはビクッと身体を震わせて恐る恐る中を覗いた。そこには、頭を机に押し付けて苦悩するアルヴィスの姿があった。


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