執筆・1996年
兄妹――それは恋人とは違い、永遠に変わることはないもの。
何よりも近いであろうもの。
近いが故に時にはぶつかり、時には支えになる。
幼い頃の思い出を胸に、今、お互いの心を知る。
「お兄様この花、いつ咲くの?」
「ん――――――……」
妹に問い掛けられた兄は、植物図鑑を一生懸命めくる。ある程度のことは読めても、幼いが故に勿論まだ古代名などは読めない。彼らの目の前には、鉢に植えられた一輪の蒼い花――今はまだ蕾であるが、大切な、母からの贈り物。
「あ、あった! ≪リューン・フルーアー≫だってさ。古代名は、うーん…読めないや……。『月の女神の眷属であるこの花は、月が天辺に昇ったときにその光を浴びて花を咲かせます』だって。夜遅くじゃないと咲かないんだってさ」
「エーっ! 早くお花が咲くの、見たいのにー!」
ぷーっと膨れる妹を見て、兄は意地悪そうに微笑む。
「月が天辺に行くまで、どーせお前は起きていられないだろう」
「いやなのー! ぜったいみるのー!」
そう言い、妹はとうとう泣き出してしまった。それを見て兄は戸惑い、何とか泣き止ませようとする。
「わかった、わかった。じゃあ一緒に見ような。一緒に起きててやるから」
「うんっ!」
妹の満面の微笑。
今は遠い、平和な時間の物語。
そんな昔の夢を見た。
「おい! 起きろ! 起きろ! 花が咲いたぞ!」
「ん――…ねむいの―――…」
兄に揺り起こされ、妹は毛布から頭を出して夜の静寂を見た。
「ほら、早く!」
せかされて鉢植えに目を向けると、確かに蒼い花が咲いている。
月の光を浴びて、今まで見たどんなものよりも、美しく見えた。
「うわ―――ほんとーだ―――」
「綺麗だな」
「うん」
妹は、花に見惚れる兄の横顔をじっとみつめた。
「ん? どうした?」
自分を見つめる瞳に気づいた兄は、妹を見て優しく微笑む。
その時の兄の優しい笑顔。
この時の全てを受け止め、真に感動している笑顔。
そんな昔の夢を見た。
あのときの花は―――…
一体どうなっているのだろうか―――――。
「シ…シグルド様…なんですか…これは…?」
「ん? 何か言ったか、オイフェ」
目の前のテーブルに置かれたものを見て呆然としているオイフェを、シグルドは微笑みながら振り返る。
「何か言ったか、じゃないですよ! どうして遠征に行くのにこんな鉢植えが必要なのですか!!」
オイフェの指した先には、確かに遠征には不釣合いである大きな鉢植えがあった。それは数年前と変わらぬ、一つの蕾を宿している。
「ああ、綺麗だろう?」
「綺麗だろう、じゃないですよ!」
「花が咲くともっと綺麗なんだ」
「ええ、そうでしょうねー…じゃなくって!」
思わず乗せられてしまった自分に赤面しつつ、あまりに自分の意を解してくれない主人に怒りを覚え、オイフェは鉢が飛び上がるほど飛び上がるほど机を叩いた。
「綺麗なのは結構です。でもどうしてそれを遠征にもっていかなければならないのですか!」
「だって…」
シグルドはその問いに、なんの躊躇いもなく当然のように答える。
「エスリンが嫁に行くときに『きちんと世話をするようにね。枯らせたりなんかしたら、ただじゃおかないわよ♪』っていってったんだよ。放っておいて枯らせたら大変じゃないか。それにこれはおれにとっても大切な花だし」
「は…はは……」
オイフェはあっけに取られずにはいられなかった。
常識がない…わけではないのだろうが、あまりにも人がいいというか、ずれているというか。純粋で、この主人はなんだか憎めないのだ。そんなところに人は惹かれてしまうのだろう。
そしてオイフェは不承不承、花を持って行くことを許したのである。
その主人の人のよさがこの後の悲劇を引き起こすとは、誰が考えたであろうか。
この花の元に二人が再びそろい、そして別れを告げるとき。二人の絆は二つとないものになる。
「まあ。この花ってばこんな寒い所でも咲くのね」
エスリンは隣で自分を心配そうに見つめるキュアンを見た。
「そんなに心配そうな顔をしないで。エーディンとラケシスのライブでだいぶ楽になったのだから」
シレジアについたその夜、割り当てられた部屋で夫は妻を見つめていた。
兄を助ける為にエスリンは夫と共に駆けつけ、この花に再会した。そしてこの花を大切にしてくれる兄に感心して嬉しくなったと同時に、呆れた。まさか遠征にまで持ち出すなど、思ってはいなかったから。まあ、それは結果的によかったのだ。持ってこなければ、長い間シアルフィに置き去りにされることになるのだから。
こんな兄の行動は、昔と全然変わってなかった。幼く、目の前の全てを純粋に受け止め、全てを信じていられたあの頃と。
その後、花の世話は嫁入り前と同じようにすべてエスリンが引き受けた。正直言って、それが凄く楽しいのだ。花は数年前と変わらず、月が上ると咲く。しかし不思議なことにこの花は、数年間枯れることも、落ちることもなかったのだ。
その花を見ると、幼い頃の思い出が笑顔と共に舞い戻ってくるようだった。どんな辛いことがあろうと、変わらぬ昔―――無邪気に花の咲くのを喜んでいられた頃を思い出させる。
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