『それぞれの真実-Each Truth-巻ノ1』収録
執筆1996年
剣聖は、その少女の愛に答えることはできなかった。
その息子てある次代の剣聖は、まるで父親の罪減ぼしをするかのように、その少女を愛した。
前イザーグ王マリクル―――父上の顔を知らない者は、私はアイラにそっくりだという。確かにそれは問違いではない。アイラは私の叔母なのだから。しかし間時にそれは、正確でもない。私はアイラよりも、父上の方に瓜二つなのだ。それは彼女の最期の言葉からも明白である。
アイラは日々成長する私の陰に、ずっと父上を見ていた。
最期の最期までも彼女は、僕の後ろに父上を見ていたのだ。
春の風になぴく漆黒の長い髪に、父上も私と同じ思いを抱いたのだろうか……。
護ってくれる腕。
触れてくれる手。
見つめてくれる瞳。
ずっとずっと欲しかった。
あの人と同じように、私を幸福にしてくれる人が……。
一度その幸福を知ってしまった私には、どうしても必要だった。
ユグドラル大陸の北東に位置するイザーク王国は、剣聖オードの国である。
その血と【流星剣】の奥義を継ぎしイザーク王マナナンには、二人の子があった。
神剣バルムンクを継ぎし第一王子マリクルと、活発で剣聖に勝るとも劣らない剣技の才を持つ第一王女アイラである。
兄マリクルは十七歳。その妹アイラは十歳離れた七歳であった。
年の離れた妹を、マリクルはとても可愛がっていた。彼女の剣の才能を見いだしたのも他ならぬ彼である。
またアイラの方はアイラの方で、兄による剣の授業を心待ちにしていた。兄を独占できる時間だからである。少女は兄よりもすぱらしい男性を見たことはなかった。少女は―――兄に淡い恋心を抱いていた。もちろん、本人はまだその事実に気付いていなかったが。
そんな無邪気なアイラをこの年の夏、初めての大きな不幸が襲った。
二人の母、イザーク王妃セレスが病没したのである。
城の裏手の森―――アイラしか知らないはずの大きなパクスの木の上の特等席で、アイラは母の魂が天へと召されるのを見ていた。
涙は、自然に瞳から流れ出ている。彼女はあえてそれを妨げようとはしなかった。
誰かと一緒にいたかった。共に同じ悲しみを持つ者と…。しかし父も兄も事務処理や賓客の対応に忙しく、アイラに構っている暇はなかった。
「アイラ!」
自分を呼ぶ声に気づいて下を見ると、眩しそうに自分を見上げている兄の姿があった。
「兄上?」
「降りて来い。アイラ」
マリクルはそう言い、下で両手を広げて彼女を受けとめる用意をする。
アイラはあれだけ求めていた悲しみを分け合える者に出会えたので、一瞬の戸惑いもなく、彼の腕に飛ぴ込んだ。
「兄上ぇ!」
アイラはマリクルにしがみつき、泣きじやくった。そんなアイラの頭を撫で、マリクルは優しく語った。
「アイラ、母上のことを覚えているよね?」
兄の問いに、アイラは小さく首肯く。
「アイラが母上のことを忘れない限り、母上は生きているんだよ。
アイラの側にいる。私も傍にいるよ。父上もいる。だからもう泣かないで。悲しくなくなるまで、こうやって傍にいるから…」
力強い腕と、暖かい掌。
アイラにとっては幸せの、、心地よい時間であった。月のように時間をかけて、彼女の心は満ちていった。
秋―――アイラの耳に、信じられな、信じたくな話が入ってきた。
乳母が口を滑らしたのだ。兄、マリクルの婚儀が翌年の晩夏に決定したということを。
その日アイラは兄の剣の授業をさぽった。あれだけ楽しみにしていて、何があっても絶対に受けるといってきかなかった授業を。
そしてアイラは岬に立っていた。イザーク城の裏手にある岬だ。
潮風に凪がれて、呆然と海を見つめ続けていた。
いつまでも自分だけの兄だと思っていたマリクルが結婚する。他の人のものになってしまう。自分よりも兄に近い者が現われるということが、ショックだった。
城内ではアイラの行方不明がちよっとした騒ぎになっていた。密かに数人の者が彼女を捜すために城外へ出ている。もちろんその中にマリクルもいた。
「こんな所にいたのか、アイラ」
一番最初にアイラを見つけたのは、やはりマリクルだった。アイラは岬の先端に立ち、海風に吹かれていた。のばしかけの髪がなぴく。瞳は宙を見るように、マリクルに向けられていた。
「アイラ…おいで…」
マリクルが以前と同じように両手を広げ、アイラに一歩近づいたとき、アイラの体は風に乗るように空へと舞った。
「アイラ!」
マリクルは一瞬も躊躇せず、アイラを追って海へと飛ぴ込んだ。
これはアイラの無言の抵抗だった。子供ながらに考え抜いた結果である。兄への初恋という淡い心が、アイラに行動させた。
はたから見れば仲のよいあまり、兄を取られるのを嫌がった妹の幼心による抵抗にしか見えないだろう。自分でもよくわからない心を説明することは、幼いアイラにはできなかった。
次にアイラが目覚めると、、王宮の自分の部量に寝かされていた。側にいたであろう侍女は、アイラの意識が戻ったことを王に伝えに行き、部屋にはタオルを被ったマリクルと二人きりだった。
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