月虹

執筆-朝霧 龍人様-




 時は夜。
イード城下に人の影は無かった。
それもそのはずである。
日中、解放軍と暗黒司祭達との間で激しい攻防が
繰り広げられたところなのだから。
シャナンは冷涼な空気を肌に浴びせながら、あてもなく
城下を散歩していた。
砂漠の気候はひどい。
日中は40度にまでなろうかというほどの暑さなのに
夜間は10度にも満たないぐらいまで気温が下がる。
そのため彼は、薄着で外出したことを
少し後悔し始めていた。
だが戻ったところで今夜は寝付けそうにない。
寝床に入っても、なぜか目が開いてしまうのだった。
――どうやらまだ興奮が冷めていないようだ。
そう思って、シャナンは腰の剣に手を当てた。
神剣バルムンク。
かつて聖戦士の一人、剣聖オードが使っていたその剣は
切れ味は世界最高にして、羽のように軽い。
そして直系たる者に、限りない恩恵を与える剣。
これを手にしたときに流れ込んできた
言葉には言い表せない温かさを、彼の体は覚えていた。
それを思い出す様に、音もなく鞘から抜き放つ。
そしてすらりとした刀身を月明かりに照らしてみた。
琴線のように細い銀色の光が目の前に縦一直線に現れる。
思わず見とれ、溜め息をついた。
数分間それをじっくり堪能した後、一振り。
しかし凍り付いた空気は動く気配すらない。
それに満足して、シャナンは再び歩き出した。
(どうやら寒さより興奮の方が圧倒的らしい)
一人心の中で呟き、そして心の中で笑った。
今夜はもう絶対眠れそうにないな、と。

 町の中心部に、噴水がある。
そこは日中人々の活気で溢れかえる場所だ。
だが今は人影もなく、水の弾ける音だけが響いていた。
シャナンは何気なくそこに足を向けた。
何も他意はなかった。
ただ、何か直感めいたものはあったかも知れないが。

 噴水の手前、約10メートル。
そこでシャナンは足を止めた。
いや、動けなくなった、と言った方が正確だろう。
噴水の縁に腰掛けているものを見た瞬間に。
月光。
太古の昔より人間を魅了してやまない、深蒼色の源。
それが今宵照らすは、淡い光を放つ妖精。
完全なる美――動的要素をすべて取り除いた美しさ。
そこには、確かにそれが存在していた。
戦場でも感じたことのない感情が、
シャナンの体を瞬間的に浸食する。
全身に鳥肌が立った。
目が眩む。
喉の奥が干上がってゆく。
立っている感覚はしっかりあるのに足下がふらつく。
そんな感覚に襲われた。
必死に気を張り、目の前のものを凝視する。
まるでそれが今にも消えてしまいそうに感じて。
輪郭が、水面に映る像の様に、ぼやける。
存在が月虹のようにあやふやだ。
現実味をまるで帯びていない。
先程の剣の切っ先とはよほどかけ離れて曖昧だ。
なのに、それは確かに存在している。
どうしてだろう?
何がそれを存在たらしめているのか?
シャナンは自問自答を続けた。


 ユリアは一人、水面に映る自分を見ていた。
波にたゆたい、弄ばれる自分の顔。
何も確かなものなど無くて、ゆらゆらと表情をかえてゆく。
まるで今の自分を見ているようだった。
記憶を失い、自分の存在が見えない自分。
確固たる信念もなく従軍し、漠然と不安を抱える毎日。
水面上の像と、どこが違うというのだろう…。
と、その時。どこからか視線を感じたような気がした。
ユリアは水面から視線を離した。
辺りを見回すと、10メートルほど向こう。
黒衣を身に纏った一人の青年が立っていた。
漆黒の長髪が、周囲の闇に溶けている。
端正な顔の部分だけが白く見えた。
月虹のような、ぼんやりとした光を放って。
その中に彼の本質を見た気がした。
あらかたを闇に隠し、残りの部分も淡くしか見えない。
では本当の彼はどこにいるのだろう?
見たい気がした。
多分彼が自分と似ていることを直感的に感じたからだろう。
質は違えど存在があやふやだという、その一点に置いて。
ユリアは思い切って声を掛けた。


「あの…」
突然掛けられた声に、シャナンは戸惑った。
どこから聞こえたのか分からなかったのである。
いや、分かってはいた。
ただそれが目の前のそれから発せられたものだとは、
シャナンはどうしても思えなかったのである。
それを人間だと思いたくない部分があったのかも知れない。
「少し、お話ししませんか?」
「あ、ああ…」
シャナンは曖昧に返事を返した。
まだ現実の映像と声が乖離している。
それを堪え、シャナンは歩き出した。
近づくにつれその乖離状態はだんだん収束に近いた。
輪郭もはっきり見える。まだ幼顔の残る少女だ。
だけどどうしてだろうか。
その存在のあやふやさだけは、いつまでたっても消えない。
その時、あの時感じた輪郭の不鮮明さは、感情に
支配された視覚が見せた幻覚だけではなかったことを
シャナンは悟った。
どこか自分に似た不安定さを、間近に来て確かに感じた。
「どうして君は、そんなにあやふやな存在なんだ?」
口をついて出た第一声に、シャナンは自分でも
驚きを隠せなかった。
相手もきょとんとした表情を浮かべる。
が、すぐにくすっと笑って言った。
「私達って、少し似てますね」
どうやら彼女も同じ事を感じていたらしい。
彼女は話を続ける。
「私、記憶喪失なんです。バーハラで倒れていたらしい
のですけれど、その前の記憶が全然なくて」
シャナンはゆっくりと頷いた。
次に来たるべき質問に備えながら。
「あなたは…自分の存在を隠しているのですか?」
核心を突いた質問だ。
どちらともとれるよう、シャナンはただ微笑むだけにした。
「どうしてわざわざそんなことを?」
シャナンはもう一度、何も言わずに微笑んだ。
まさか幼き日の自責心の結果とは、口が裂けても言えまい。
自分の責任を処すために、自分が課した罰。
それが今自分が生きる理由なのだから。
だから、存在を示す必要性などどこにもないのだ。
彼女は困ったように目を逸らし、やがて呟いた。
「私、どうすればいいんでしょう…」
「…君は、過去にこだわりすぎて今を見ていない。
過去は大事だが、今を生きる方がもっと大事なことだと
思わないか?」
シャナンは真面目に答えた。
そうしなければいけない気がした。


 ユリアは驚いた。今までに言われたことのない言葉に。
みんな、口を揃えてこういうばかりだった。
(早く記憶が戻ると良いね)
誰も前向きな解答を教えてくれなかった。
それが、この人はいとも容易くそれを導いてくれた。
過去から現在の自分の存在を証明するのでなく。
現在から作り上げていくということ。
今のユリアにはそれがひどく魅力的に聞こえた。
次の瞬間にはもうそうしようと決心していた。
あまりにも早い決断を危ぶむ気持ちはあったけれど。
でも、間違っているとは思えなかった。
それは彼が自分と似ていると感じたからかも知れない。
初めて出会えた自分の理解者だったからかも知れない。
それとも…。
その提案を受けることで、彼が自分を確立するのを
手助けしたいのかも知れない。
心の奥の真相は曖昧なまま。
「ありがとうございます」
何の脈絡もなく生まれた言葉。
それを聞いて、彼は満足げに頷いた。
そして、ユリアはその場を去った。
彼の名前を知らないままで。自分の名前も伝えないままで。


 一人その場にシャナンは残った。
もう辺りは静寂を回復している。まるで先程の出会いを
かき消そうとしているかのように。
噴水の縁に腰掛け、彼女と同じように水面を覗いてみる。
反射した月明かりが、さっきの少女とだぶって見えた。
不思議な子だった。
何だって自分はあんな言葉を喋ったのだろう?
喋らされたという表現の方が正しいだろうか。
何に?何故?
おそらくは、過去に捨てたはずの自分の意志。
きっと過去を捨てても生きていけることを、他人の身で
証明して貰いたいのだろう。
醜い。
過去に囚われているのは自分ではないか。
思い当たって、シャナンは声を上げて冷たく笑った。
けれども。それだけではない気もする。
曖昧模糊とした感情。
それを言葉に直す能力は彼には備わっていなかった。
ただ漠然と、その身を闇に溶かすのみ…。


――月夜の晩の、不思議な邂逅。
それは二人だけの知っている物語。
二人だけしかしらない物語。


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 2000ヒットを運悪く踏んでしまわれた(笑)
鈴海紗夜様からのリクでシャナン×ユリアです。
いかがだったでしょうか?
タイトル通り、非常に微妙な話でしょう?(爆)
これ書いてるとき、精神状態が微妙だったんです。
しかも全然ラブラブじゃないんですけど…。
いいのかな?いいよねきっと!(現実逃避)
こんな話になってしまって申し訳無いのですが、
紗夜さんに差し上げたいと思います。
どうぞお受け取り下さいませ。

       2002/1/31 朝霧 龍人

 

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