懐古にとどけ

『Es war eine Fugung des Himmels-それは天の配剤であった』収録
執筆・1998年・2000.1発行



 愛を知らない少女にナーガの神は記憶と引き替えに愛を教えた。
 愛に飢えた青年にオードの神は、光り凝く少女の笑顔を与えた。



 少女は愛を知らなかった。
 少女の父は、血の繋がりがなければ人を愛せない人であった。
 少女の母は、本当の愛を忘却の彼方に押しやってしまった人であった。
 少女の兄は、悪魔に魂を売り、愛を捨てた人である。
 少女の母は愛を欲した娘を助け、ナーガの神は忌まわしい記憶を奪った。


 青年は幼い頃から便命と自責の念に囚われ続けてきた。そして愛を与えられるというよりも、自らが育てた子供たちに愛を注ぐことに時間を費やさなければならなかった。
 その甲斐があり、子供たちは愛に浅ちた少年少女に育った。


 二人の出会いは砂の舞う、風の強い日であった。



「大丈夫…てすか…?」
 か細い声をかけられて、血の流れ落ちる左腕を抱えたまま、シャナンは声の主を見上げた。
 何十人もの暗黒司祭に傭兵、それにこの神殿の預かり人のクトウーゾフまでも一人で倒したのだ。しかも盗賊の少女を護りながら。
 バルムンクを手に入れる前に斬りつけられた傷をかばう余裕はなく戦い続けなければならなかった。しかも盗賊の少女がしがみついて}ゼて取魔になったのは言うまでもない。彼の顔には血の気がなかった。
 自分を呼ぶセリスの声に安心して冷たい石の床に座り込んでから少し気を失っていたようだ。左手の指先にはもう感覚がない。
 声の主は走ってきたのか少し息を切らせ、シャナンの腕に触れた。
 少女が瞳を閉じると患部が暖かくなり、光がシャナンを包む。光を発する少女はまるで、聖女であった。
「ああっ…」
 低く溜め意をついたシャナンの瞳からは、いつのまにか涙が流れ出ていた。
 深い安堵に包まれる。心が安堵に充ちあふれる。
 母親が死んでからは感じたことのない安らぎ、心の暖かさ。
 今までは自分の心にとっての利益、優しさなど、考える暇がなかった。自愛を考えたことなどなかった。
 そんなシャナンの心に少女の暖かさは、砂に海水がしみ込むような勢いでしみ込んでいった。
「シャナン様ですね。もう大丈夫ですよ。傷は治りました…」
 瞳を開けてシャナンを見た少女は彼の涙に一瞬驚いたようだがすぐに涙流れる彼の頬に手をのばし、その涙を優しく拭き取った。
「…傷は治りましたよ。でも、こちらの傷はもっと深いようですね…」
 シャナンは自分の胸に触れられた自くて細い手に、自分の手を重ねる。そして少女を見つめた。
「きみ…は?」
「…私は…」
 シャナンに問われ、少女が少し戸惑いながら答えようとした時、遠くから彼らを呼ぶ声が聞こえた。
「シャナン! ユリア!」
 小走りに近付いてきたのはバルドの末裔である開放箪のリーダーセリスと、シャナンの従妹であるラクチェだ。
「大丈夫? シャナン。城の中にはもう敵はいなかったよ。色々と話を聞きたいけど、とりあえず歩けるようなら砂漠を下りながらにしたいんだ。別働隊がメルゲン城に向かっているからさ、早く合流しないとね」
「ああ、もう大丈夫だ。行こう」
 くつろいで再会を喜ぶ間もなく、少女とゆっくり話をする間もなく、シャナンはイード神殿を後にすることになった。



「―――というわけで、このパティがバルムンクが神剣だとは知らずに神殿から盗みだしたんだよ」
「だってえーっ、仕方なかったのよお」
 長い金髪を三つ編みにして派手な帽子を被った少女は、シャナンの左腕に絡み付きながら話す。
「たくさん宝があるって聞いてたしぃ、そーしないと孤児たちを養っていけないんだものぉ」
 その少女、パティはシャナンが苦笑を浮かべているのに気づいてか気づかないでか、そのままセリスに訴えた。
「でも、泥棒は良くないよ」
「あらセリス様、知らないの? 帝国兵達のお金は市民達から奪ったものなのよ。それを取り返してどこが悪いのよ」
「…あ、そうか…」
 パティの読弁に納得してしまったセリスを見ていたシャナンは、パティに掴まれた左腕が痛むのを感じ、一瞬顔をしかめた。しかしすぐに平静を装ったので、講にも気づかれなかったはずである。
 その時今までセリスの少し後をつつましく歩いていたユリアが、厳しい顔でシャナンの左腕に絡み付くパティを引き離した。
「パティさん、シャナン様は先程左腕に怪我をされていたのです。回復の魔法というものは直接傷を回復させるものではありません。そんなに強い力で腕に触れてはシャナン様の負担になるとは思いませんか?」
「…な、何よあんた!」
 ユリアの言葉はもっともなのだがその感情のない言い方が気に入らなかったのか、パティはあからさまに敵意を剥出しにした瞳を向ける。
 ユリアは別に悪気があってそういったわけではない。ただシャナンが辛そうなのに気づいてそう言ったのだ。しかしあまり表情の出ないユリアに言われては、が怒るのもわからなくはない。
「傷が完全に回復しないなんて、あんたの魔力がないせいじやないの!」
 パティの激しい言葉にユリアはゆっくりとそして論すように答える。



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