愛と哀しみの交錯

無料配布本収録
1995年執筆



 大陸の中央に建つ宮殿。
 聖王国の象徴でもある聖なる宮殿は、今では血に汚れ、わずかに昔の面影を残すのみ。
───────  アカネイア聖王国・聖都パレス─────────────────
 いつかこの戦争が終わり、ここが…すべてが元に戻る日は来るのであろうか…。
 ドルーア軍に占領されたパレスの中、割り当てられた端の一室で、彼女は窓から見える月を見上げた。
「戦いで何もかもが変わってしまっても…悠久なのはあの月だけね…」
 彼女は憂いに満ちた表情で思わずつぶやいた。
「いえ、違いますよ」
 不意に背後から声がしたので振り向くと、それを待っていたかのように金髪長身の男が一人、こちらへ向かってきた。
「月とて、完全に悠久なものではない」
男─── グルニアの若き将軍にして、大陸一の天才軍師──── 黒騎士カミュは、女──── アカネイア聖王国唯一の生き残りであるプリンセスニーナこと、ニーナ・アル・シナ・アカネイアの横に立ち、月を見上げる。
「月は悠久ではない。月もまた、人の心のように夜毎に姿を変える…」
 ニーナは隣に立つカミュを見上げ、つぶやくように訊く。
「それは…人を、あなたでさえも信用するな…ということですか…?」
 パレス侵略の際になぜか自分を救い、囚われの身になってから今日まで、唯一優しかったのがカミュだ。ニーナを助けたことで自分の立場が悪くなっているだろうに、ニーナが寂しく思っているとそれがわかるのか、必ず現れて話し相手になってくれていた。
 そして…二人の間に…いけないとわかっていながらもある感情が芽生え始めていた。
「……………」
 二人の視線が空中で交錯し、カミュは吐き出すようにその言葉を告げた。
「そうです」
「!!」
 ニーナは血の気が引くのを感じた。立っていられなくなりそうだった。足が、震える。しかし彼が今日、何をしにここへ来たのかを訊くまでは、気を失うわけにはいかない。
「私が今まで、何のためにあなたを生かしてきたか、わかりますか?」
 感情なく訊かれ、ニーナは震える声で、しかし精一杯虚勢を張って答える。
「ドルーアにとってはわたくしは体のいい人質…切り札なのでしょう…? わたくしが捕まっていれば、迂闊に手出しはできない…」
 ニーナは耐えられなくなって一瞬視線を落とし、続ける。
「…しかしあなたは…私が何度自ら死への道を選ぼうとしたとき『生きろ』とおっしゃった。やがて集うであろうもの達のために、生きろ…と」
 ニーナはカミュにつかみかかる。
「っ…だからわたくしは生きてきた。悲しみに溺れそうになったこともある。淋しさに吸い込まれそうになったこともある。だけどっ…だけどっ…」
 ニーナの涙が床に落ち、音もなく絨毯に吸い込まれる。カミュは上着にかけられた手を静かに離し、そのまま握りしめた。
「あなたは…何か勘違いをしているようだ…」
「…えっ…?」
 ニーナが大きな瞳でカミュの瞳を見つめると、それが優しくほほえんだ。
「…私は、あなたを殺しに来たのではない」
「…では、なぜ急にあんな話を…」
 カミュはニーナの問いには答えず、遠い目をして語り始める。
「五年前…ここで開かれた舞踏会に、私は参加していた…」
「…五年前…。覚えています。もちろん、あなたのことも…」
 ニーナの返答に薄く微笑みを返し、カミュは続ける。
「そこで私は、一人の少女をみた。整った顔立ち、すらりと伸びた手足。まるで完璧ともいわんばかりの計算された無駄のない動き…。まだ少年であった私は、年下であろう彼女に魅了されてしまいました」
 カミュは優しく、ニーナを見つめる。
「わかりますか…? それはあなた、プリンセスニーナです」
 ニーナはそれに答えるように頷き、語る。
「わたくしも…一人の殿方に出会いました…。けぶるような金の髪、琥珀色の瞳でこちらをみていらっしゃったそのお方に、わたくしはいけないとは思いつつも…恋心を抱きました。そしてそれは…今日まで……」
 二人は自然と甘く見詰め合い、唇を重ねる。
「…お逃げなさい。今ハーディン公が砦まで来ているという。逃げるのならば、今しかない」
「……………」
 ニーナは無言のまま、カミュを見つめた。その瞳には…複雑な思いが込められている。
 カミュは左手でニーナの涙を拭き、優しく頬に口づけした。
「…私たちがふれあうのは…今日が最後です…。今度会ったとき、あなたと私は…敵です」
「……は…ぃ……」
 ニーナはあふれ出る悲しみと、アカネイアの王女としての使命感という葛藤に苦しみながら、そう返事をした。そう返事せざるを得なかった。
(…わたくしに期待する人がいる。わたくしは自分のためだけではなく、この世界の多くの人のために生きなくてはならない…悲しい…さだめ…)
「ニーナ…肩書きを捨てられない私を…臆病な私を許してくれ……」
(…いいえ……あなたは臆病なのではない。立派です。人の上に立つことの意味が分かっていなかったわたくしより、何倍も…何十倍も、立派です…)
 カミュの腕に抱かれながら、ニーナは独白した。
(…誰よりも…この戦争が終わることを望んでいるのは、あなたなのですね…だから、わたくしを……)
 ニーナの瞳から流れ出る涙は、ゆっくりと布に吸い込まれていった。

 悠久ではない、不実な月のみが二人を照らし続ける。


 敵としてでもいい。
 あなたに会いたい。
 そう思うわたくしは、ひどい女でしょうか。
 たとえそれで、あなたの命が果てることになったとしても、会えたことに喜びを感じる。 あなたがどうなろうと、私は生き続ける。生き続けなくてはならない。
 それは…やはりひどいことなのでしょうか。
 しかし、あなたのくれたこの命。
 すべてが終わるまでは無駄にするわけにいかない。
 けれども…けれどもすべてが終わった後……。
 一つだけ、一つだけわがままが許されるでしょうか。
 それとも…それさえもわたくしには許されていないのでしょうか……。


『愛と哀しみの交錯』・完



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